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ダ・ヴィンチの天使は、実在したのか?⸻日本、マルタ、フィレンツェを繋いだ《キリストの洗礼》

2026 9/21
アートエッセイ
2026年9月21日

小学生のころ、
私は伝記を読むのが好きでした。

小学四年生のマラソン大会の日、
私は怪我をして走れず、みんなが校庭を走っているあいだ、
私は別室で読書することになりました。

そこで読んでいたのが、ダ・ヴィンチの伝記でした。

深い緑色の布張りの本。
タイトルは金色の文字で、

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

小学生にしては、少し分厚い本で、
その本の中に、忘れられない話がありました。

若いダヴィンチが、
師匠の工房で一人の天使を描いたが、

その天使があまりに美しく、
師匠のヴェロッキオは絵筆を絶った⸻
という話でした。

当時読んだ本ではありませんが、
ウフィッツィ美術館の公式ガイドブックより

そしてその絵の写真も、
本の中に載っていました。

その天使の顔と髪。

そこにしか目がいきませんでした。

頬の内側から透けるような血色。

空気を含んだようにふわりと広がる髪。

「こんな天使、本当にいるのだろうか。」

子どもながらに、そう思いました。

⸻

それから何年も経って、私はヨーロッパにいました。

イタリア・フィレンツェへ行く少し前、
地中海の島、マルタに滞在していたときのことです。

マルタの風景

ある日、街のバス停で、バスを待っていたとき、
ふと目に入った横顔に、私は驚きました。

黄金色の髪。

頬の内側から透けるような血色。

地中海の強い光の中で、
その人だけ、輪郭がやわらかく見えました。

そしてその顔は、
少年のようでもあり、青年のようにも見え、
年齢がよく分かりませんでした。

十四歳くらいにも見えるし、もう少し上にも見える。

天使というのは、
もしかしたらこういう年齢なのかもしれない。

しかもその横顔は、絵で見たあの天使と
ほとんど同じ角度でした。

ただ一つ違うのは、
彼がTシャツに短パン姿だったことくらいでした。

その不思議な組み合わせに、
私は少し頭が混乱しました。

彼は友人らしい数人のグループと一緒にいて、
マルタの離島であるコミノ島やゴゾ島からの帰りのようでした。

美しいコミノ島の海

私は数分のあいだ、
その人をつい目で追ってしまいました。
「ダヴィンチの天使だ…」と。

もちろん、話しかけたりはしません。

ただ、心の中で思いました。
ほんとうに、実在するんだ、と。

ダ・ヴィンチが描いたものは、
どこか現実の中にある美なのかもしれない。

⸻

そして時が流れ、フィレンツェへ行き、
ウフィッツィ美術館を訪れました。

ウフィッツィ美術館

そこで、あの絵を見ました。
《キリストの洗礼》

師匠アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房作品ですが、
左側の天使を描いたのは若い
レオナルド・ダ・ヴィンチだと言われています。

《キリストの洗礼》

その天使を見た瞬間、私は思いました。

「やっぱり、この天使だ。」

小学生のころ、本で見たあの天使。

頬の血色も、
空気を含んだ髪も、
そのままでした。

そして実物の天使には、
ほんの少しの眩しさがありました。

「天使の輝きまで、描くことができるのだろうか。」

そう思うほど、そこだけ光って見えました。

⸻

小学生のころ、
図書館で読んだ一冊の伝記。

あのとき見た天使を、
私はずっと覚えていました。

そして大人になって、
フィレンツェでその絵を見ることになり、

過去の記憶が、
同じ一枚の絵の前で静かにつながった気がしました。

絵は、こんなふうに
人の時間をつないでしまうことがあります。

そして絵は、こんなふうに
人生の中で何度も出会い直すものなのかもしれません。

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