2024年、大阪中之島美術館のモネ展に行った時のこと。

正直に言うと、少し思っていました。
「……またモネか。」
最近、モネ展、多くないですか?
もちろんモネは好きですし、
作品を見れば「やっぱりいいな」と思います。
でも、あまりにあちこちで名前を聞くものだから、
少し食傷気味になっていたのかもしれません。
そんな気分で、モネの《積みわら》の前に立っていました。

すると、近くから若い女の子の声が聞こえてきました。
「これ、私の推し積みわらー!」
思わず振り向きました。
大学生くらいでしょうか。
彼女は小さな《積みわら》のグッズを握りしめながら、
友人と2人で絵を見ていました。
「推し積みわら」
その言葉が、なんだか妙におかしくて、
そして可愛らしくて。
私は少し笑ってしまいました。
同時に、なんだか嬉しくなりました。
美術館というと、どうしても「美術を知っている人」
が行く場所、というイメージがあります。

作品について勉強して、画家の生涯を知って、
時代背景を理解して、技法を知って。
そうやって知識を積み重ねていくことも、
もちろん楽しいです。
私自身、そういうことが好きでした。
でも、その女の子はたぶん、そんなことを考えながら
《積みわら》を見ていたわけではないのでしょう。
ただ、「この絵、好き!」という気持ちで、
グッズまで手にして、絵を見に来ている。
それでいいんだよな、と思いました。
むしろ、それがいい。
これまで美術館のプロモーションが届いてこなかったような人たちが、
何かのきっかけで美術館に来て、
「この絵、好き」
と出会う。
そして、自分だけの「推し」を見つける。
そんな人が少しずつ増えていったら、
なんだか素敵だなと思います。

そして、ふと自分のことを考えました。
私は美術が好きです。
でも、好きだからこそ、
いつの間にか難しく考えるようになっていました。
もっと知らなければ。
もっと詳しくならなければ。
ちゃんと語れるようにならなければ。
美術が好きなら、それくらいできて当然なのだと思っていたのです。
でも。
「推し積みわらー!」
と言いながら絵の前に立つことだって、
美術を好きになることのひとつですよね。
絵を見て涙が出ることも、
ポストカードを買って家に飾ることも、
美術館のカフェでケーキを食べることも、
旅先で教会の天井を見上げて立ち尽くすことも。
全部、美術との付き合い方なのだと思います。

もっと気楽でいい。
「なんか好き」
から始まっていい。
私も、もう少しそのくらいの気持ちで、
美術を好きでいていいのかもしれません。
そう思わせてくれた、あの日の《積みわら》と、
ひとりの「推し積みわらー」に、ちょっと感謝しています。

